(日本人親子の話)


第3章 日本人親子の話

   初めての海外旅行のためツアーで行った。このツアーに参加したのは、私を含めて4人だった。(ツアーで行く場合は結構面倒で、旅行会社に行っていろいろ書類にサインをしなくてはならなかったが、色々なアドバイスを受けることが出来るので、初めての海外旅行の場合は、ツアーを勧めたい。)日本人の親子と若い会社員とが、私の初めての海外旅行の仲間となった。(格安ツアーの場合、現地ガイドの場合が多く、バリに着いて初めて同じツアーと判るケースが多いい。) バリに着いて、飛行機のタラップを降りた時、むっとした空気に包まれた。南国特有の空気とでも言えば、雰囲気は判って貰えるかも知れない。入国審査を通って、ツアーのバッジを付けて、バッグを取って、税関を抜け、出口を出ると沢山の人が待ちかまえていた。(ガルーダインドネシア航空で行くと、機内で入国審査があるので、すんなりと入国審査を通れる)

 ツアーのバッジで判断したと思うが、「***ツアーの方ですか」と変なアクセントの日本語で話しかけられた。

 「はいそうです」と答えた。

 「お名前は、何ですか」と聞かれ

「大平です」と答えると、リストを見ながら

「あとー、2人います、ここで待って下さい」と言った。そこには、若い日本人がいた。5分程して、2人の日本人の女性が来た。若い日本人は、広告関係の仕事で、バリには4回目だそうで、結構はまっているという感じがした。日本人の女性は、親子で初めてのバリだそうで、何か不自然な感じがした。新しいとはいえない日本製のワンボックスの車で、ホテルに向かった。

現地ガイドの説明が車の中であった。「バリで、ジャワ島の人たちが、悪いことをしています。相手にしないで下さい。大麻・マジックマッシュルームも、絶対だめです。」と言った。(売春と麻薬が、レギャンストリートで売られているけれど、絶対に止めた方がい。因みに、女は、50,000Rp位(’91/5)と言われた。

ここで、バリの賃金・物価に軽く触れておきたい。 肉体労働者の日給が、だいたい3,500Rp(’93/3)で、レストランのウエイターの月給が50,000Rp位(’96/5)、ガソリンは、10,000Rpで約16L、30才銀行員の月給が300,000Rp位で、何と説明したらいいか困ってしまうが、日本に比べたら相当安いと言える。(’96/7)こんな物価のところで、バリの物価を知らない日本人がちょっとしたことでチィップに5,000とか10,000Rp払っているのを見ると、(実際に見たことがある)何とも言いようがない。 しかし、貰っている方は、ラッキーだと言える。お金持ちは、世界が違っていて、お金持ちの子供は、送迎バス付きの学校へ行って、大学はアメリカへ行ってるケースが多いようで、最近のお金持ちの息子の流行(’94頃)は、ホンダシビックに乗ることだそうで何とも言えない貧富の差が著しい世界でもある。(輸入車には、200%の関税が掛かるため、ホンダシビックが300万円以上もする(’94/5))

ムティアラコテッジに、現地時間でPM10:00頃着いた。若い日本人は、別のホテル(サリジャヤ)で、日本人親子と一緒になった。(コンチ・JAL・ガルーダどれで出来ても、成田からならだいたいPM9時頃デンパサール空港に到着する)部屋が隣だったので、声がよく聞こえた。母親の方は、50才前後で静子さん(仮名)で、日本の大手鉄鋼会社の部長夫人と言っていた。 娘の方は、京子さん(仮名)で、28才で既に結婚していると言った。3日目から5日目の夕方までいなかったので、いったいどうしたんだろうという妄想がやたら浮かんだ。ひょっとして、誘拐されたのかな? とか、ひょっとして交通事故にでも遭ったのかな? とか、一人でテラスに座ってジャックダニエルを飲んでいると、後から後から色んな妄想・空想が私の頭の中で、走り回った。バリの星空は、人間を、空想家にする!!

 5日目の夕方、日本人親子と再会した。

 「どちらに行かれていたのですか」と尋ねると

「ジョグジャに行って、ボロブドールの遺跡を見に行ってきたの」と京子が言った。この時点で、ボロブドールの知識がなかったので、軽く

「良かったですか」と聞いた。

 「すごい、遺跡だった」と彼女は、言った。 (約2年後に、私も行ってしまった)

「へー、そんなにすごい遺跡なのですかー」と軽く答えて

「じゃー、食事に行きますので」と言って、その場を離れた。 夜、テラスで空想家に成りきっていると、静子さんが来て

 

中央に見えるのがボロブドゥール

 静子さんの話を聞いて、2年後に行った。この見学ツアーは、ジャワト島ジョグジャカルタの各ホテルで予約でる。静子さんたちは、クタの旅行会社を使って来たそうだ。

 インドネシア最大最古の仏教遺跡。観光地化していて、道は舗装されている。インドネシアの大切な外貨獲得産業になっている。

「おじゃましてもいいかしら」と話しかけてきた。

 「どうぞ」と軽く言った。

 「お酒飲んでるの」

 「ええー」と、結構ジャックダニエルが回った口調で返事した。

 「結構飲んでるのね」

「はー」と取り合わない様に返事した。

 「ボロブドールは、どうでした」と聞くと

 「それがねー」と長話が始まった。途中バスが故障して、違うバスに乗って、ボロブドールに行ったとか、トカゲの皮のバッグを買ったとか、小一時間位話して部屋に引き上げていった。

翌日、新婚旅行でバリに来た、インドネシア人カップルがチェックインした。新婦は、18〜19才位で、私から見てもかわいい女性で、新郎の方は、50才位の中年ブトリしたインドネシア紳士だった。三番目の奥さんだとサリーから聞いた。(インドネシアでは、3人までOKらしい、但し、古女房の同意と同待遇を維持しなくてはならないのだそうで)新婦の方はうきうきして、初老の新郎は、疲れ気味の様にも見えた。その夜もテラスで空想家になりきっていると、今度は、静子さんと京子も来て、世間話が始まった。その世間話の中で、バリに来た理由が判った。京子が離婚したいと言い出したのが原因らしい。そこで、静子さんが、思いとどまらせようとして、バリに連れてきたと言った。京子が離婚したいと言い出した理由が、子供が出来ないことにあるらしく、子供の出来ない理由について話している内に、気まずくなって来たらしく

 「昔は、料理も手伝ってくれたし、ほんとに楽しかった。」と京子は、言った。最近は、帰りも遅くなって来て、会話も減っていると付け加えた。

 「病院に行って、検査してみたらって言ったのだけど、いかないし」と口ごもった。こんな話しに、意見を言えるほど人生経験がないので、「へー」とか「そうなんですか」とか「それは大変ですね」とか、合図地ばかりうっていた。ただ、京子の苦しさは、社員住宅に住んでいる為、周りの目の重圧に耐えきれない様でもあった。(京子の旦那はエリート社員の為、よけいに注目されているみたいでもあった。)そんな京子が

 「昼の新婚さん、何かへん」と言い出し

 「そうよね」と静子さんが、合図地をうった。

 「あの子、笑っていたけど、目が悲しそうだった」

 「わたしもそう見えた」とすかさず静子さんが、合図地をうった。私が見るところでは、新婦がはしゃいでいて、旦那が付いていけなくって、もてあまし気味のように見えた。あえて「そうじゃない様に見えたけど」と言う言葉を飲み込んだ。この時点で、インドネシアの事情をよく知らなかった私は、そうかなとも思った。でも、若い嫁さんのことはともかく、男としては、何ともうらやましい現実を見た。

遺跡の下から見上げて撮影

 人の大きさから遺跡の大きさが解かると思う。観光客は階段を上って一番上まで行く事が出来る。5階だてのビル位の高さがあり、上る階段の脇に狛犬に似た石像まであり、仏教の雰囲気が漂っている。

 駐車場のところで、トカゲ皮のハンドバックも売っていた。皆さんも買って、日本で作り直すと数万円になるかも?(確か2〜3千円位だったと思う。)

 

 

 

 

     日本人親子の話 終わり


 

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