ジゴロの話


第10章 ジゴロの話

 

バリへはいつも一人で行っていた。独身でもあったし私を取り巻く環境が複雑で、なかなかうまく行かない現状が在った。年を重ねている私ではあったが焦ってはいなかった。バリで結構楽しかったのは、日本人の女性旅行者に声をかける事で、日本語で

「こんにちは」とかけてみる。

「こんにちは」と返してくる場合もあるが

「・・・・・!」とこっちを見て無言で立ち去っていってしまう場合もある。結構用心してバリにくる女性も多いようで、その顔を見るだけでも面白かった。しかし、バリニーズに言わせると、ジゴロの真似に見えるらしく不評を買った。ジゴロはだいたいジャワ島から稼ぎに来た連中が多いが、バリニーズがジゴロしているという話も聞いた事がある。日本人サーファーのジゴロもいて、ジゴロ間で羨望の的になっていた。クタビーチで甲羅干していると物売りがやってきて

「指輪を買わないか」と英語で話しかけてきた。

「ノーサンキュウ」と言っても引き下がらず、押し問答が続いた。

「お前はクタビーチのルールを破っている」と言ってパラソルを指差すと、強引さが抜けて泣き落としに入った。(クタビーチには、砂浜の一定ラインより海側に物売りが入っては行けないルールがある。)

「昨日から食べてないんだ、買ってくれ」と言われ、日本人の攻略マニュアルでもあるのかなと思いつつ、数点の銀の指輪を買わされてしまった。約1万RPで日本人にしたら大した金額ではないが、困ったのは、違う物売りがまた来て

「指輪を買ってくれ、俺も昨日から飯を食べていない」と言い出した。困ったもんで、また買ってしまった。今度の物売りは、世間話までしていった。約100m位離れたサーファーを指差して

「日本人のジゴロ」と言った

「へー」と軽くいなしたが

「イサオ(仮名)はいい、日本人の女の子が直ぐ付いてくる。ベリーグッドだ」と言い

「食事する。 その後H  ワオー」と奇声を上げた。からかっているのではなく、その目はアイドルを見るファンの様だった。

「イサオは、3ヶ月バリ 日本に戻ってまた来る」と言っていた。(インドネシアの観光ビザは、当時3ヶ月間だった。今もそうかは知らない。)バリニーズが話していた事だが

「バリニーズは、SEX大好き」と言う事だが、別にバリニーズが好色人種ではなく、日本人も同じで、口に出すかどうかの差だけで、本質は同じだと思う。バリのクタは、都会でない。村と思っていい。だから、誰がどうしたこうしたなんて言う話は、直ぐに広まる。バリに通うつもりの人は、行動に気を付け無いと影で何を言われているか分からない状況になるから、注意した方がいい。

レギャンストリートには、約300人のジゴロがいて日本女性を狙っている。(この話を聞いたのは、’94年頃)日本女性は、一番お金を送ってくれると非常に評判がいいらしい。ジゴロでなくてもマディー等バリニーズは日本女性と結婚したがっていた。理由は簡単、持参金目当てで、そのお金で商売を始めたかったからだ。インドネシア以外も同じと思うが、表現は悪いが後進国は貧富の差が大きく貧の階層から抜け出すのには非常なる努力が必要で、バリヒンズーの

 

 日中は、ビーチにいる事も在る。こっちを向いている女性は、多分前のジゴロと遊んでいると思う。ジゴロは、よく女性に気を遣っているので、女性が暇を持て余す事が無いようだ。夜は、レギャンストリート辺りにいる。

 日本人がよく来るレストランで、カモを探し、片言の日本語「こんばんわは」で攻撃してくる。

世界では、貧の階層もそれなりの生活が出来ている。それが当然と思えば、それが安定に繋がるが、一部の成功者を夢見る若者も多いようだ。これは、多分テレビや外国人旅行者の影響によると思う。このような状況で、一番手っ取り早いのが、日本人女性と結婚し、持参金で商売を始める。これを読んで、持参金もって現地人と結婚しても、うまく行く事はあまり無いらしい。現地在住のT氏に聞いたところ(T氏は日本人)

「オーストラリアンのおばちゃんが貢いだあの***店(飲み屋)は、うまく行ってるらしいよ」と軽く言った

「他には?」と聞くと

「ほとんど無いんじゃない」とあっさりいわれ、ジャワから来たジゴロならお金を持ち逃げするか、商売してもうまく行かなければ、ドロンパというような事を話した。

「ちゃんとした家の人なら大丈夫。 ジョゴロは、駄目」と

以前、バリの日本人妻という特集を某雑誌で見た事がある。 その中の一人に偶然にもダイビングで見かけた。当然のごとく日本人の色白で、額から汗が滴り落ちるような炎天下では、まるで女神様の様に見えたのは、至極当然のような気がした。

 

  ジゴロの話 終わり


 戻る