バリでのドライブ


第14章 バリでのドライブ

 

 

 入り口の階段を上ると、僧侶がお祈りを捧げていた。

 

バリの物価は’93年頃日本円の1/20位の感覚だが、ホテルの宿泊費は米ドル表示で物価変動に対応していた。地方に行くとRPなのでその恩恵にあずかる事になる。レンタカーの値段は日本円で1日当たり2〜3000円(1週間単位)も出すとジムニーが借りられた。廃車寸前の様な状態だが走る事が出来た。年末年始のクタの周辺は非常に渋滞する。クタビーチの夕日を見に観光客が押し寄せるからだ。この時期以外は、そんなには渋滞しない。短期滞在で、クタ宿泊のダイーバーはヌサベニタに行く以外は、毎日2〜3時間車に揺られてポイントに行く事になる。窓から見えるバリの景色は、ガイドブックに載っている景色が展開される。

まだダイビングを始めていない頃国際免許証を持ってきた事がある。たまにはドライブでもしようとジムニーを借りた。最初はクタの周りを走ってみた。この頃は、地方に行くと舗装されていないところもあったが、幹線道路はだいたい舗装されていた。最初にクタを離れて行った先は、

ウルワツ寺院でヌサドゥアの方にある。車を走らせ寺院近くの駐車場に車を置き、寺院まで歩いていく。入り口の階段のところでハチマキの様な紐を借り(2000RP払った)腰に巻いた。(基本的には、正装ででないとまずいのだが、観光客は無理なので最低限の格好に変身する) 階段を上り中を見回すと坊さんがお祈りをしていた。その向こうには、インド洋が見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見渡す限りインド洋だ

 

 遠目からのウルワツ寺院になる。断崖絶壁の上の建てられているのが判ると思う。

 

断崖絶壁の上から見るインド洋は、海岸から見る景色とは違い、引き込まれそうな感覚になる。リピーターが多いのも肯ける。僕もウルワツが好きだ。何か晴れやかな気分になっていくのが不思議だ。崖の下は、上級者用のサーフィンポイントになっていて、サーファーの間では有名らしい。

車があると自由に動き回れるので、あまり観光客が行かないようなところにも行ける。地方は、ヒンズーの方が圧倒的に多いという話を聞いていたので、治安は大丈夫と思い込んでしまっていたが、問題が発生した事はなかった。

そうだキンタマーニに行ってみようと思った。鈴木さんがいいと言っていたが、その当時、何がいいのかは解からなかった。ムティアラで朝食を済ましキンタマーニに車を走らせた。途中で銀ショップの店を覗いたら、細かい細工の銀制ブローチやら鼈甲細工やら色々あった。値段は4割位安く出来ると店員が言った。通常は、旅行会社とガイドに2割ずつマージンを払うそうで、その分値引きOKと言っていた。鼈甲は成田で引っかかるのでご注意。

 

 

 

ライステラス

 キンタマーニ高原に行く途中で撮影した。年数回収穫できるそうだが、段々の水田は、がなりの労力を必要とするだろうと推察するだけで疲れてくる。不思議な事なのだが、平坦地で水田を見た事が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キンタマーニ高原

 残念な事に曇っていたが、ひんやりした空気は、熱風に疲れた日本人にはいいかもしれない。 ここには、ゴルフ場も在って現地系ハイクラスの人がプレイしているらしい。DIVE&DIVE’Sのオーネーの殿塚氏もカノウさんから貰ったクラブでPLAYしているそうだ。

 

キンタマーニ高原は標高1000M以上でバリでも気温20度以下の地域になる。日本時には過ごしやすいところだ。行く途中のライステラスは、緑鮮やかで記憶に残る風景になる事請け合いと思う。キンタマーニ高原は綺麗だったがその綺麗の一言で終わってしまい、何か物足りなさを感じた。じゃ、シンカラジャまで行ってみようと思い、歩いている人に

「ハウ フォアー シンカラジャ?」と聞くと

「アバウト 15ミニッツ」と言ったので

「タンキュー」と言い、車を走らせた。でも、15分は変だなと思いつつ30分走っても1時間走ってもまだ下り坂を走っていた。そうだ、インドネシアは嘘を付いても騙されるのが悪い地という習慣があったと言うのを忘れていたようだ。でも、旅行者なのだからと愚痴を零しても後の祭りだ。結局、ガス欠になりそうになりながら1時間30分ほどでシンカラジャに着いた。シンカラジャは、オランダ統治時代の中心でその頃の面影が残っているとガイドブックに書いてあったが、何処がその面影なのかは解からなかった。

腹が減ったのでレストランに入った。いかにもバリのレストランという感じで、クタには無い感じだった。

「メニュー プリーズ」と言うと、男性店員が無言でメニューを持ってきた。バリで無愛想なのは珍しいと思いつつメニューを見るとインドネシア語で書かれていて意味不明だった。MIは麺だというくらい位は解かったので、麺類と飲み物を注文しようと、無言の店員にメニューを指差して注文した。メニューを返す時に裏返したら、何と裏には英語のメニューがあった。この時点で無言の理由が分かった。僕が中国系のインドメシアンに見えていたので、英語を喋って事が、相手にとってふざけていると思われたようだ。出てきた料理は冷えていない冷やし中華風で裂きイカ風のいかと野菜類が数種類載っていて非常に口に合ったが、飲みものは、赤いシロップが掛かっていて見た目はゴウジャスだったが、やけに甘かった記憶がある。ある程度満足したが、同じ道を通ってクタに戻るのも能が無いと思い、東側の海岸線を走って戻る事にした。これが大正解となった。トランバン辺りまで舗装されて両脇に歴史を感じる並木が続いていた。約1時間の間対向車も数台しかなく、これがオランダ風かなんて空想にふけるような心地よさだった。

 

熱風を切り裂いて走り抜けるこの道は、超お勧め

 

 シンカラジャからトランバンまでの間で撮影した。シンカラジャよりの方の道が非常に雰囲気があっていい。写っているジムニーでひたすら走った。腕にサンオイルか日焼け止めを塗っておく事をお勧めする。 信号は無い。

トランバンからも舗装されていたけど並木はなく、日差しの強さが気になり出した。それから約3時間ほどでクタ戻ってきた。

 

 

  バリでのドライブの話 終わり


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